NEWS 平成28年度 第2回金城大学プログラム 社会福祉講演会
「穏やかな最期を迎えるために」報告

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平成28年度 第2回金城大学プログラム 社会福祉講演会
「穏やかな最期を迎えるために」報告

 

日時:平成28年9月17日(土) 13:30~15:00
場所:北國新聞会館20階ホール
講師:山根淳子氏(金城大学 社会福祉学部教授)

学歴/国立山中病院附属看護学校
   放送大学教養学部(発達と教育専攻)
資格/看護師
職歴/国立山中病院 看護師
   国立山中病院附属看護学校 専任教官
   金城大学短期大学部幼児教育学科専攻科 専任教員
専門/介護福祉基礎教育
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平成28年9月17日、北國新聞会館にて、平成28年度第2回金城大学プログラム社会福祉講演会が開かれ、社会福祉学部教授・山根淳子氏が「穏やかな最期を迎えるために ~高齢者の看取りの介護を考える~」と題する講演を行いました。山根氏は、どのように人生の最期を終えるのかをテーマに、自分は、どこで、どのように、だれに看取ってほしいのか、また、自分の大切な人を、どこで、どのように、だれと看取りたいのか、について考えるヒントを示しました。

 

 

1、日本の看取りの現状

 

いま、団塊世代が高齢に達し、多死社会が始まろうとしています。厚生労働省の人口動態調査によれば、1950年ごろは約8割が自宅で亡くなり、1割が病院でしたが、1980年ごろから自宅よりも病院の割合が増え、最近では自宅が12.5%、病院が78.5%となっています。死が身近なところから病院に移り、全般的に終末期ケアの体験が減っています。
平成24年度の調査で、65歳以上の高齢者を対象とした延命治療に対する考え方をみると、9割以上の人が延命を目的とする治療を望まず、自然にまかせて死を迎えたいと答えています。一方、約5%の人が延命のためにあらゆる治療を受けたいと答えている結果も見落とせません。また、55歳以上を対象とした高齢者の健康に対する意識調査では、治る見込みのない病気になった場合の看取り先について、約55%の人は自宅、約28%の人は病院を希望しています。以上が多死社会の現状であり、厚労省では、亡くなる人は2030年までに年間40万人の増加が予測され、看取り先の確保が困難になるという報告をしています。

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2、高齢者の看取りとは

「看取り」とは、東京大学大学院客員研究員の箕岡真子氏によれば、「無益な延命治療をせずに、自然の過程で死にゆく高齢者を見守るケアをすること」と定義され、慢性疾患を有する高齢者の終末期において緩和ケアを実践するということを意味すると説いています。
昨今、終末期ケアを表す言葉として「エンド オブ ライフ ケア」が適切とされています。この言葉は、人生の最終段階におけるケアと訳され、差し迫った死、あるいはいつかは来る死について考える人が、生が終わる時まで最善の生を生きることができるように支援することを意味します。生命ではなく、人生という概念に基づくことから、このような表現になっています。
死にゆく人は「自分の人生は意義のあるものだった」と安心し、見送る人は「かけがいのない大切な人を尊んで」と安堵することが求められ、そのためには、死にゆく人がその人らしく最期まで生きることが重要です。

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3、在宅で家族の看取りをした事例紹介

◆2年間のうちに両親を在宅で看取った事例

平成23年:90才の母:胃がんで1年半入院、在宅療養3カ月。夫(父)95才と娘夫婦が看取る。
[臨終場面]家族が少し目を離した間にすっと息をひきとる。訪問看護師に連絡、医師により死亡確認。
[在宅で看取って良かった]母は病院で落ち着かないと言っていた。最期まで父と居られて良かった。
[悔いが残る]腰が痛かったため、母にポータブルトイレではなくおむつをあててもらった。口にはしなかったが、いっぱい我慢していたのではないだろうか。

平成24年:97才の父:大腸がんで3カ月入院、在宅療養4日。
[臨終場面]呼吸が苦しそうだったので訪問看護師に連絡し、医師に往診してもらう。最期は家族が看取り、訪問看護師に連絡、医師により死亡確認。
[在宅で看取って良かった]家に帰れてほっとした様子だった。無口な父が3回も「お世話になりました」と言った。みんなに見守られて静かに死を迎えられた。人間はこうして死を迎えるということを教えてくれた。
[悔いが残る]母はよくしゃべるのでイライラしたが、父は何も言わなかった。

これらのケースで自宅での看取りを可能にした要素は、サポートや介護サービスを利用し、とくにサポートの人から励まされたこと、家族が痰の吸引や着替えの指導を受けたこと、病院から在宅療養への連携がスムーズだったこと、家族に覚悟と知識があったこと、本人の意思が確認できたことが挙げられます。

 

◆末期がんの告知を受けた後「家で死にたい」と希望した事例

79才のAさん:食道がん、在宅療養9カ月。
・担当医師が、大がかりな手術が必要であることを詳細に説明したところ、本人は、手術はしない、家で死にたいと表明。医師は最期まで看ることを約束。在宅療養をするためAさんは胃ろうにしぶしぶ承諾、帰宅。
・在宅療養では、夫が朝夕の経管栄養を行い、娘が朝夕夜、おむつ交換に訪れていた。
・1カ月に2~3日レスパイト入院で、胃ろうの管理や病状確認を行う。家族の休息も目的としている。
[在宅で看取って良かった]本人の希望がかなえられた。自宅で花見もできた。夜中に亡くなり、臨終に立ち会えなかったが、安らかな表情をしていたので良かった。胃ろうの是非はいろいろ言われているが、家族同士の最後の時間を持てたので、胃ろうをして良かった。
[悔いは残る]悔いはない。訪問看護師による心のサポートに支えてもらった。母はからだのつらさがあったのか、あるいは迷惑をかけたくないという気持ちがあったのか、「入院したい」と口にしたことがあった。

このケースで自宅での看取りを可能にした要素は、本人の意思がはっきりしていたこと、担当医師との信頼関係があったこと、家族が自宅での看取りに納得していたこと、各種のサービスを利用できたことが挙げられます。

 

◆「家に戻って正解」と言った、山根氏自身の父の事例

82才の父:肺がん末期で1カ月半入院、在宅療養4日。
・在宅でモルヒネ注射、酸素療法、補液なし。エアマット借用、訪問診療と訪問看護などのサービス利用。
・肺がん末期の父は病状が悪化し、家に連れて帰ろうにもそのタイミングが見出せずにいた。少し安定した日があり、私は「ここにいても何も変わらないから家に帰る?」と聞くと、父は同意。
・家に帰り、床に就くと父は「なんか心配やな」と言う。私は、「お父さんが帰るって言ったんよ」。「そうや。家に戻って正解や」。ほっとした。夜、父と私と母の3人で川の字で寝た。病院のようにモニターなどの装置はなく、父が息をしているか何度も確かめ、私は一睡もできなかった。でも二晩目、私は寝ることにした。父がすっと安らかに亡くなるなら、それもいいか、そう考えた。
・昼間、父がやや元気になった時のこと。父が母に「一緒に逝ってくれるか」と聞くと、母は「私は、いかない」。すると孫娘に「一緒に逝ってくれんか」。「じいちゃん、私、まだ22才よ」。笑いを交えながら話をする家族には、すでに死を受け入れる気持ちがあったのだろう。父は、妻、子、孫に囲まれて逝った。
[在宅で看取って良かった]
・母は、「4日間そばに居ることができ、家で看取れて良かった」。孫や嫁たちは「延命ではなく苦痛を除くことを優先できて良かった」。あらかじめ、延命を望まないという本人の意思を確認してあった。
・エンゼルケアに孫たちが参加できた。4人の孫と嫁と娘(私)が父の手や髪を洗い、顔のマッサージ、化粧をした。家族に満足感があり、ほほえましい時間を持てた。
・孫たちは、人の死がどのようなものかを学んだ。また、家族それぞれが自分の役割を果たし、「がんばった感」を得られた。
[悔いが残る]
・母は、「もっと早く病気に気づいてあげれば。ごめんね」を繰り返した。時が経つと次第に気持ちが収まった。
・孫たちは、「家族が生きていることは当たり前だった。知らない間に祖父の病気が悪化していた。もっと早く知っていたかった」。

以上の、自宅で看取った4例では、本人の意思が確認できたこと、家族が同じ方向を向いていたこと、介護などのサービスをうまく利用できたことが良い結果につながりました。また、ひとり暮らしの人が、在宅でその人らしい最期を迎えたという事例の報告も多数あります。自分の意思が大切です。

 

◆終末期の輸液治療について

終末期患者が食べられなくなると人工的に水分・栄養補給を行います。しかし、輸液治療は、腹水、胸水、浮腫、気道分泌物(痰など)による苦痛を増すことになります。しかも、終末期における輸液は、喉の渇きを癒すことは期待できません。
一方、臨死期における脱水状態には利点がいくつもあります。脱水により脳内麻薬が増加し、鎮痛や気分高揚などの効果をもたらす、意識を朦朧とさせる、吐き気や腹部の張りを抑える、空腹感を減らす、痰を減らすなどです。死に際に呼吸が苦しそうに見える状態は、脳内が酸欠になり脳内モルヒネの分泌が促される、炭酸ガスの貯留により麻酔効果が引き起こされるなどの現象をともない、また、脱水、飢餓、酸欠状態は、夢うつつ、気持ちいい、穏やかな気分になるなどの現象を引き起こすとされています。

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4、若い介護福祉士が看取り体験から得たこと

ある認知症のグループホームに勤める20代、5名の介護福祉士の看取り体験を報告します。
平成25年8月~26年12月に、86才~99才の6名を看取りました。いずれの人も重度の認知症であり、死因は老衰です。

[看取りを行った介護士の気持ち]
・初めて死に立ち会った。先ほどまでいつもと同じ様子だったのが急変した。死を受け入れられなかった。
・パニック状態になった。先輩に来てもらい、少し落ち着いた。
・家族からは、ありがとうと言われたが、もやもやしたものが残る。
・どんな思いがあったのか、つらくなかったのか、と悩んだ。
・一緒にもっと楽しいことをしたかった。

[看取りにおいて大切なことは何だと思うか]
・同僚や関係者との協力や連携・医療的な知識の取得・観察力や判断力。
・高齢者の思いをわかること、いつもと同じ日常を最期まで提供することが大切。

[看取り体験で得たこと]
・涙が止まらなかったが、看取れて良かった。
・つらかったが、亡くなった人からエールを感じる。
・看取りはこわい。でも、人の人生を学べる。
・人の最期に立ち会えることは、すごいことだと思う。

[臨死期に対する思い]
・できれば避けたいが、いやではない。
・医療ではない。最期まで声をかけることが大切。
・いつ死ぬかと不安、恐怖を感じ、頻繁に観察してしまう。

[高齢者の死をどう考えるか]
・なじんだ場所で親しい人に囲まれて自然に死を迎える。
・食べることができなくなり、衰弱していく。
・病気や苦労などたくさんのものから解放され、らくになれる。

 

 

5、代理意思決定 私の義母のこと

ことし7月27日、30年同居し、私を支えてくれた義母が亡くなりました。その最期から、人生の終い方、そして義母にとって最善のケアとは何か、義母らしい最期とは何かという代理意思の決定について考えました。
義母はくも膜下出血で倒れてHCUに搬送されました。義母は意識がないため、手術や治療などを本人に代わって決める必要があります。右半身は完全にマヒしていましたが、左の指が少し動くことがありました。一時、意識が戻り、「淳子、ご飯食べたんか」、孫には「仕事終わったか」などと話したこともありました。
3カ月間、寝たきり状態で、介護施設への入所を検討することになりました。「最期まで義母らしく生きることとは」を考えるときでした。ところが、介護認定を受けようとしていた矢先、義母の容態が急変し、亡くなりました。
義母が倒れた時は「何の恩返しもしていないのに」と嘆きましたが、3カ月間生きてくれてよかった。私は、穏やかな喪失感を感じていました。義母の友人からも「みんなに看取られてうらやましい」と言われました。
義母を家に連れて帰り、最期のケアとして化粧をしたり、髪を直したりしました。通夜に訪れた義母の妹は「きれいな顔でよかった」。最期の姿を整えることは、大切なことです。
厚労省による「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」に、患者の意思の確認ができない場合、以下を基本とするように示しています。
・家族が患者の意思を推定できる場合、その推定意思を尊重し、患者にとっての最善の治療方針をとる。
・家族が患者の意思を推定できない場合、患者にとって何が最善であるかについて家族と十分に話し合い、患者にとっての最善の治療方針をとる。
・家族がいない場合や家族が判断を医療・ケアチームに委ねる場合、患者にとっての最善の治療方針をとる。

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6、エンディングノート、事前指示書

エンディングノートとは、人生の終末期の万一に備えて書き留めておくものです。思い出、お墓、葬儀、医療介護などの項目があり、文房具として一般に販売されています。
また、事前指示書とはリビングウィル=生前の意思を示したものです。意思決定ができない状態になった時、どのような医療を望むのか、意識が確かな時期に表明しておくのです。

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私の講演に来てくださった方々が、これを機に、「最期まで自分らしく生きるとは」について考えていただければ、と思います。
ご清聴ありがとうございました。