NEWS 学校法人金城学園創立110周年 第9回保健・医療・福祉創造フォーラム
ライフステージごとの栄養と健康

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学校法人金城学園創立110周年 第9回保健・医療・福祉創造フォーラム
ライフステージごとの栄養と健康

今年度、開学15周年を迎えた金城大学。「明日の福祉社会を先導するリーダー的存在の養成」を設立の理念としており、社会的使命がさらに重要となる昨今、地域の保健・医療・福祉創造を目指し、フォーラムを開催致しました。

日時 平成26年度11月15日(土)
会場 医療健康学部棟(H棟)104大講義室
スケジュール 12:45~13:00 開式
13:00~14:00 講演
■テーマ「スケートを通して見つけた大切なこと」
鈴木明子氏
プロフィギュアスケーター
慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所研究員
14:15~15:55 シンポジウム
■テーマ「ライフステージごとの栄養と健康」
15:55~16:00 閉式

 

 

大会長の挨拶

半谷 静雄氏(金城大学 学長)

最初に半谷学長が「医食同源とは中国が語源なのだと思っていましたが、実は和製の造語だったのです。日本古来の規則正しい食生活が長寿とつながったという一説から、この四字熟語ができたのかもしれません。今回は元オリンピックフィギュアスケーターの鈴木明子氏の体験から基づくお話をお聞きし、さらにそれぞれのライフステージにおける食のエキスパートの方々が講演をされます。このフォーラムが皆様の健康長寿の糧としてお役に立てたら幸いです」とあいさつ。続いて来賓祝辞があり、鈴木明子氏の講演に入りました。

講演

スケートを通して見つけた大切なこと

鈴木 明子氏(プロフィギュアスケーター/慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所研究員)

●自分を導いてくれたフィギュアスケート

私は今年3月、埼玉県で行われた世界選手権をもって22年間の競技生活から引退をし、新たにプロフィギュアスケーターとして歩き出しました。受賞経歴を凝縮して並べるとあたかも順調であったように感じますが、実際は苦味ばかりの競技生活でした。
小さな頃から飽きっぽい性格だった私でしたが、6歳から「好き」で始めたフィギュアスケートは、23年目に入った今でも一度も嫌いになった事はありません。これほどまでに好きなものに出会えたからこそ、さまざまな苦難に立ち向かって頑張ることができたと思います。スケートを始めた頃は、アクセルジャンプが成功できなくて、毎日「今日も跳べなかった」と嘆いていた時に、「今日20回やってできなかったら、明日40回やってみる。人の倍は練習しなさい」という母の励ましの言葉に頷き、素直な気持ちで練習を続けた結果、跳ぶことができました。その時自分は、人より少し時間はかかるけれども、コツコツと努力をすることが必要なのだと気づきました。 中・高校生になると、人より劣っている姿や頑張っている姿を周りに見せたくないという気持ちから、自分を大きく格好良く見せたいと願いました。体が成長すれば自分は何でも早くできるという期待をもちましたが、本質は何も変わりません。本来ならスケートの技である3回転3回転を10代で修得するものを、私は25歳でチャレンジ。その時、周りの視線が気にならない日はありませんでした。思い通りに跳べない私に、母は以前と同じアドバイスをくれました。私は一生懸命にやる事は年齢に関係なく格好悪いことではないと感じました。その後、年齢的にも時間はかかりましたがジャンプを体得し、それが世界選手権の銅メダルにつながることになりました。


●摂食障害との長い闘い

私は18歳の時に摂食障害、拒食症という病気にかかります。フィギュアスケート選手の体型は細い身体を求められます。ですが、子どもから大人の女性に変化する時に丸みをおびてしまうのは避けられません。私自身もその時期には必死にトレーニングをし、食事に気をつけました。食事に関しては割烹料理店を営む両親のおかげで、バランスのとれた健康管理ができました。そのせいか、ほかの選手たちが体重管理に苦しむ中、私は高校生時代はあまり太りませんでした。「鈴木さんは高校生になっても体型が細くていいわね」という周囲の言葉が、私には「細くなければ鈴木明子ではない」と聞こえていたのでした。結果的にプレッシャーがかかり、大学入学と同時に摂食障害を発症しました。
ひとり暮らしの大学生活では、スケートも勉学も食事管理もしっかりやらなければと、自分自身にプレッシャーをかけていました。スケートでは、コーチが太ってきた選手に対して檄をとばしているのを聞き、「太ったら先生に嫌われる」という気持ちになりました。その頃から食事をすることが怖くなり、まずは肉を食べるのをやめました。すると次に何を食べていいのか判断できなくなり、すべてにおいて恐怖を感じ、食に対して悪のイメージを持ってしまったのです。2ヶ月たらずで10㎏減の32㎏になり、ついには体調を崩して自宅療養になりました。人間は体力がないと睡眠もできず、起きることもできません。髪の毛も抜けていき、生きる意味を失いかけていましたが、スケートへの情熱の火だけは私の中でくすぶり続けていました。そんな私のすべてを母が大きな心で受け入れてくれたことで、「こんな駄目な状態の私でも生きていてもいいのだ」と初めて思えました。これをきっかけに病状はゆっくりですが良好へと進み、1年で体重は回復。しかし、摂食障害は完治したわけではなく、食事に対する怖さから逃れ、肉が食べられるようになるまで3年以上を費やしました。

●「まいっかのスペース」とこれからのスケートの関わり方

以前の私は何事においても完璧主義者でした。でもこの病気から回復すると同時に自分の中に「まいっかスペース」をつくりました。これは自分の心の中のゆとりのことです。このゆとりを持てば、あるがままの自分を自分として受け入れられる。一人で責任を負うのではなく、弱い自分を受け入れて心と体が手をつないで前に進んでいくことが大切なのです。これからの私の夢は振付師です。新時代のスケーターの魅力を引き出し、それにエッセンスを加え、時には彼らの心のよりどころになれる、そんな存在になりたいです。

ライフステージごとの栄養と健康

幼児・学童期の栄養と健康

竹内 恵子氏(管理栄養士/石川県栄養士会 栄養ケアアドバイザー)

石川県栄養士会栄養ケアアドバイザーの竹内恵子氏は、「幼少期の食生活はからだの基礎づくりであり大切な時期であります。しかし現状は少子化、女性の社会参加や仕事を持つ母親は特別なことではなくなり、子育て環境は社会と共に変化してきています。子どもたちにとって、1日の食事と栄養の摂取を考えた場合、家庭と保育所、学校とで十分な栄養を確保できるようにしていくことが必要です。「食育基本法」が策定されて10年、今年は「第2次食育推進基本計画」が進められています。家族がそろって食事をすることは、子どもの身体の発育や心の豊かさに大きな影響を与えます」。と食育の大切さを語りました。

思春期・青年期のからだとこころ

平口 真理氏(臨床心理士/金城大学 社会福祉学部・教授)

金城大学社会福祉学部教授の平口真理氏は「思春期・青年期には身体と精神のアンバランスが生じやすく、身体的変化、自尊感情や自己概念の構築、友人関係や異性関係などの相互作用からストレスや葛藤が生じます。それにより生活習慣の乱れがおき、将来の自立に悪影響を及ぼします。特に義務教育を過ぎると朝食欠食率が増加傾向にある事から、正しい食の知識、自己管理能力、実践できる力を身につけることが思春期・青年期の重要な課題です」。と規則正しい食生活について語りました。

筋力アップを目指した『食』~お元気な高齢者とアスリートのために~

大村 健二氏(医師/上尾中央総合病院外科・腫瘍内科顧問栄養サポートセンター長)

上尾中央総合病院栄養サポートセンター長の大村健二氏は、「じっとしている時の手足や背中の筋肉は、8割から9割のエネルギーを脂肪から得ています。心臓の主な燃料も脂肪です。マラソンのような長時間に及ぶ運動でもおよそ半分のエネルギーが脂肪からつくられますし、また高齢者は若い世代の頃よりカロリーをとらなくてよいというのは、私たちの既成概念で間違った解釈です。健康体の高齢者のビタミンやミネラルの必要量は若者と同等。アスリートにおいては、スポーツによって鍛える筋肉が異なりその筋肉の種類によって食するものを変化させなければいけない。高齢者には元気な体を作るための食を、アスリートには強い筋肉を作るための食が必要なのです」。と高齢者の必要な栄養量が若者とそれほど変わらず、高齢者も肉や魚を食べた方がよいと話されました。

 

講演が終わり、聴講者とのディスカッションが行われました。
●よくたくさん食べても太らないヤセの大食いとか、逆に水を飲んでも太る人がいますが、それは消化器系に問題があるのでしょうか?
●食生活において肉はとらなくていいのですか?
など、食と健康に関する質問がでました。
最後に
●まいっかスペースはどういう風に良いのですか?
という質問に、鈴木氏は「まいっかスペースがあるのよ、と言えるようになると、私自身、人に優しくなれ、周りの人に助けられていると気づき、人生が生きやすくなりました。現代は情報があふれている時代です。自分が何かを選択する時にその情報の波に翻弄されるのではなくて、自分でゆっくり考えて自分の力で物事を選択することで、より健康になれるのではないかと思います」と結びました。